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還至端駅前与高六別処 張説


      唐王朝時代の詩人


還至端駅前与高六別処 張説


205 張説 (ちょうえつ)  667- 730年
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還至端駅前与高六別処 張説 李白「?山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -308

還至端駅前与高六別処 張説 李白「?山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -308



305 孟浩然 与諸子登?山 (世の移ろい、季節の変化を詠う)
309  〃  輿黄侍御北津泛舟 孟浩然 李白「?山懐古」関連 
310  〃  ?山送張去非遊巴東(?山亭送朱大)
311  〃   過故人莊
312  〃   ?山送蕭員外之荊州
313  〃  登?山亭寄晉陵張少府
314  〃  南山下與老圃期種瓜
(ほかに田園作 、 九日懷襄陽 、 ?山餞房?、崔宗之 、 傷?山雲表觀主 、 大堤行寄萬七 、 襄陽公宅飲 、 和賈主簿弁九日登?山 歳暮帰南山・・・・・etc.と?山襄陽を詩題としたものが多くある。)


306 張九齢 登襄陽?山
307 陳子昂 ?山懷古 
308 張 説   還至端駅前与高六別処
315 李 白  襄陽曲四首 其一
316  〃   襄陽曲四首 其二
317  〃    襄陽曲四首 其三
318  〃    襄陽曲四首 其四
318  〃    襄陽歌
320  〃   ?山懐古
*(番号の順でこのブログに掲載する)


盛唐時代の政治家で詩人でもあった張説(ちょうえつ)が詠んだものであるが、?山を題材にしてはいないが、世の移ろいを詠うものとして、孟浩然・張九齢・陳子昂・張説と目線が同じであることでここに掲載する。李白の?山懐古、襄陽曲四首、襄陽歌、大堤曲での李白の目線に触れたいと思う。
   

還至端駅前与高六別処 張説



還至端駅前与高六別処
また、端州駅に来たまえからの仲間である排行六番目の高?とここで別れる。
旧館分江口、凄然望落暉。
かつて高?と泊まったこの旅籠は北江と西江の合流地点付近にある。ふたりはものさびしく、いたましい気持ちで沈みゆく太陽を眺めている。
相逢伝旅食、臨別換征衣。
相手の高?に長安に旅立つことをつたえる。別れにあたって互いの旅装を交換し合うことにするのだ。
昔記山川是、今傷人代非。 
昔から山河はとこしえに変わらない、普遍なものとして記録されている。しかし、今の傷付いた世は太宗の時代にはなかったのものだ。
往来皆此路、生死不同帰。
行きかう人は皆この路、それぞれの道を通るものだ。人が生まれたことと、人が死ぬということは同じところに帰るということはないのだ。


(還 端駅に至り 前与の高六と処で別る)
旧館 分江の口、凄然として落暉を望む。
相逢うて旅食を伝え、別れに臨んでは征衣を換う。
昔記せし山川は是なるも、今傷む人代の非なるを。
往来皆此の路なるに、生死帰るを同じうせず。



現代語訳と訳註
(本文)還至端駅前与高六別処
旧館分江口、凄然望落暉。
相逢伝旅食、臨別換征衣。
昔記山川是、今傷人代非。 
往来皆此路、生死不同帰。

(下し文)
(還 端駅に至り 前与高六と処で別る)
旧館 分江の口、凄然として落暉を望む。
相逢うて旅食を伝え、別れに臨んでは征衣を換う。
昔記せし山川は是なるも、今傷む人代の非なるを。
往来皆此の路なるに、生死帰るを同じうせず。


(現代語訳)
また、端州駅に来たまえからの仲間である排行六番目の高?とここで別れる。
かつて高?と泊まったこの旅籠は北江と西江の合流地点付近にある。ふたりはものさびしく、いたましい気持ちで沈みゆく太陽を眺めている。
相手の高?に長安に旅立つことをつたえる。別れにあたって互いの旅装を交換し合うことにするのだ。
昔から山河はとこしえに変わらない、普遍なものとして記録されている。しかし、今の傷付いた世は太宗の時代にはなかったのものだ。
行きかう人は皆この路、それぞれの道を通るものだ。人が生まれたことと、人が死ぬということは同じところに帰るということはないのだ。




(訳注)
還至端駅前与高六別処
(還 端駅に至り 前与の高六と処で別る)
また、端州駅に来たまえからの仲間である排行六番目の高?とここで別れる。
端溪(端州)駅 現在の広東省肇慶市(ざおちんし)高要県。端溪硯の名産地。
高六…高?こうせん。張説と共に則武天に諫言をし、再三、流刑に処された。宰相魏元忠を高要尉へ左遷し、高?、張説は嶺表へ流した。○ 排行六のこと。 同姓の親族の中で同世代の兄弟やいとこたちを、男子は男子、女子は女子で別々に年齢順に番号をつけて呼ぶこと。一族ではない他人が排行で呼ぶことは、よほど親しいということ。科挙の同輩などの付き合いにより交際が深まったものが多い。


旧館分江口、凄然望落暉。
(旧館 分江の口、凄然として落暉を望む。)
かつて高?と泊まったこの旅籠は北江と西江の合流地点付近にある。ふたりはものさびしく、いたましい気持ちで沈みゆく太陽を眺めている。
旧館 かつて高六と泊まった旅館。○分江 西江と北江とが合流する地点。川筋が分かれるところ。
口 …『全唐詩』では「日」に作り、「一作口」との注あり。○凄然[1]寒く冷ややかなさま。[2]ものさびしく、いたましいさま。○落暉 沈む太陽。落日。


相逢傳旅食、臨別換征衣。
(相逢うて旅食を伝え、別れに臨んでは征衣を換う。)
相手の高?に長安に旅立つことをつたえる。別れにあたって互いの旅装を交換し合うことにするのだ。
旅食 旅先での弁当。これから旅に出ること。征衣旅ごろも。旅装。




昔記山川是、今傷人代非。
(昔は記(おぼゆ) 山川の是なるを、今は傷む 人代の非なるを。)
昔から山河はとこしえに変わらない、普遍なものとして記録されている。しかし、今の傷付いた世は太宗の時代にはなかったのものだ。
人代 人間の世界。世の中。代を使っているのは唐の太宗、李世民の諱を避けたため。高?、張説は則武天により左遷され、戻され、また左遷された。その後、玄宗期には宰相になる。大宗は諫言を受け入れた。又、地方で仁徳のある官僚を中央に引き上げるシステムを構築した。則武天も当初は張説の還元を受け入れていた。


往来皆此路、生死不同帰。
(往来 皆此この路なるに、生死 帰えるを同じうせず。)
行きかう人は皆この路、それぞれの道を通るものだ。人が生まれたことと、人が死ぬということは同じところに帰るということはないのだ。


旧館分江口、凄然望落暉。
相逢伝旅食、臨別換征衣。
昔記山川是、今傷人代非。 
往来皆此路、生死不同帰。