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    盛唐期の主要な詩人たち

盛唐の詩人たち


      唐王朝時代の詩人


         盛唐の詩人たち







盛唐(8世紀初頭 - )

玄宗
8世紀前半の唐
712年(先天元年)、李隆基は睿宗から譲位され即位した(玄宗)。翌年、太平公主を処刑した。玄宗の治世の前半は開元の治と謳われ、唐の絶頂期となる。この時期、唐の羈縻支配と冊封政策は中央アジアにまで及んだが、751年にトランスオクシアナの支配権を巡ってアッバース朝との間に起こったタラス河畔の戦いに敗れた。

玄宗は、長い治世の後半には楊貴妃を溺愛して政治への意欲を失い、宰相の李林甫ついで貴妃の一族楊国忠の専横を許した。楊国忠は、玄宗と楊貴妃に寵愛されていた節度使の安禄山と対立し、危険を感じた安禄山は755年に反乱を起こした。節度使は玄宗の時代に増加した官職で、辺境に駐留する藩師に軍事指揮権と一部の行政権を与える制度である。北方3州の節度使を兼ね大軍を握っていた安禄山はたちまち華北を席巻し、洛陽を陥落させ大燕皇帝と称した。

都の長安を占領され玄宗は蜀に逃亡、その途中で反乱の原因を作ったとして楊貴妃と楊国忠は誅殺された。失意の玄宗は譲位し、皇太子が粛宗として即位した。唐は名将郭子儀らの活躍や回鶻(ウイグル)の援軍(太子の葉護ら)によって、763年に乱を平定した。9年に及んだ反乱は、安禄山とその死後乱を主導した配下の史思明の名をとって安史の乱と呼ばれる。安史の乱によって、唐の国威は大きく傷付いた。以降、唐は次第に傾いていく。

軍事力増強のために藩鎮を増やした結果、内地の節度使も増加した。各地に節度使が置かれた状態は、後の五代十国時代まで続いた。



唐は歴代でも漢詩の最高峰とされる時代である。古文辞学派を率いた明の文人李攀竜は「文は秦漢、詩は盛唐」といい、唐詩、特に盛唐の詩を中国史上最高の漢詩だとしている。古文辞学派に反対する文人も、唐詩が最高峰だという見解には余り異を唱えてはいない(例えば陽明学の李卓吾は杜甫を非常に重んじている)。日本でも、平安時代から白居易などの唐詩が親しまれており、江戸時代になると、李の主張を敷衍した荻生徂徠らが『唐詩選』などを通じて多く紹介したため、日本で漢詩と言えばこの時代のものを思い浮かべる人が多い。


盛唐
  唐代の最盛期を反映し、多くの優れた詩人を輩出した時期である。修辞と内容が調和した詩風は、それまでの中国詩歌の到達点を示している。代表的詩人には、中国詩歌史上でも最高の存在とされる李白と杜甫を頂点として、王維・孟浩然・岑参・高適・王昌齢などがいる。

中国詩人 と 歴史
・元謀・藍田・北京原人

・神話伝説(三皇五帝)

・黄河・長江・遼河文明

・夏 ・ 殷 ・周・西周

前漢
後漢
西晋
東晋
十六国
北魏
西魏
東魏
北周
北斉
唐   (初唐)

唐  (盛唐)
     (中唐) 
     (晩唐)
西夏
 
 
北元
後金

 
満洲
中華民国
中華人民共和国
台湾
 


● 盛唐期の詩人たち


盛唐 618〜712

盛唐の詩人たち  (五十音別)
ID 詩人名 よみかな 生没年 代表作品/出身地/備考
1
李キョウ〔山+喬〕 りきょう 644-713 詠物詩
2
薛稷 せつしょく 649-713
3
郭震 かくしん 656-713 子夜春歌
4
僧 義浄 そう ぎじょう 635-713 南海寄歸内法傳・大唐西域求法高僧傳
5
沈セン期 しんせんき 656-714 ボウ山詩
6
李思訓 りしくん 653-718 北宋畫の祖
7
姚崇 ようそう 650年 - 721年 「開元の治」と呼ばれる盛世をもたらした功労者
8
劉知畿 りゅうちき 661-721 史通
9
蘇テイ そてい 669?-726
10
王翰 おうかん 687-726 涼州詞  涼州詞二首 古長城吟(飮馬長城窟行)
11
蘇挺 そてい 670年 - 727年 汾上驚秋
11
僧 一行 そう いちぎょう 683-727 大衍暦をつくる
12
徐堅 じょけん 657-279 初學記
13
張説 ちょうえつ 667-730 張説之文集  張説ものがたり  還至端駅前与高六別処 張説
14
司馬承禎 しば・しょうてい 643年 - 735年 賜司馬承禎敕
15
宋m そうけい 663-737
16
張九齢 ちょうきゅうれい 673-740 張九齢ものがたり
17
孟浩然 もうこうねん 689-740 孟浩然の物語と詩目次・案内   孟浩然 春暁 と 王維 ,田園楽   孟浩然 澗南園即時貽皎上入
18
張サク〔施+鳥〕 ちょうさく 660?-740 遊仙窟
19
王之渙 おうしかん 688 - 742 登鸛雀樓 
20
賀知章 がちしょう 659年 - 744年 賀知章 回ク偶書 二首  賀秘監集 / 題袁氏別業
21
李ヨウ りよう 687 - 747
22
李適之 りせきし  ? - 747
23
呉競 りきょう 670?- 749 貞観政要
  李祈 りき 690 〜 751年
24
張繼 ちょうけい 753進士及第 楓橋夜泊
25
王昌齢  おうしょうれい 698年 - 765年頃 出塞(従軍行)/ 塞下曲 / 閨怨 / 從軍行 / 出塞行
26
さい こう、 ? - 754年 黄鶴楼詩
 安史の乱  755年―763年    安史の乱
  安史の乱と詩人たち   安史の乱 ウイグルの係わり   安史の乱と詩人、杜甫
27
韓幹 かんかん 701 - 761
28
王維  (おうい) 699 - 761 終南別業  王維ものがたり
29
玄宗皇帝 (李隆基)  げんそうこうてい(りりゅうき) 685ー762 幸蜀西至劍門
30
李白 りはく 701 - 762
30
儲光羲 ちょこうぎ 706〜763年
31
釈霊一 (しゃく れいいつ、) 727年 - 762年 題僧院
32
諸光弼 しょこうひつ 708 - 764

裴迪  はいてき 生没年不詳 王維とモウ川集

荊叔  けいしゅく 生没年未詳。
33
嚴武    げんぶ 不詳〜765 軍城早秋(昨夜秋風入漢關)
34
高適 こうせき 702頃〜765 塞上聞吹笛/除夜作 田家春望/邯鄲少年行/燕歌行
35
李華 りか  ? - 766 弔古戦場文
36
皇甫 冉  こうほ ぜん  714年 - 767年 曽山送別/捷l怨/送魏十六還蘇州
37




38
蔡 希寂 さいきせき 未詳 洛陽客舎逢祖詠留宴
39
崔恵童 (さいけいどう) 未詳 宴城東莊
40
崔 国輔 さい こくほ 生没年不詳 長信草  長樂少年行
38
崔曙  さいしょ   不詳 黄鶴樓 孟門行 行經華陰 行路難
39
崔敏童  さいびんどう 不詳 宴城東荘
40
蕭 穎士 (しょう えいし、) 717年 - 768年 九日陪元魯山登北城留別、全唐詩十六首  蕭茂挺集
41
杜甫 とほ 712 - 770 杜詩ブログ 編年・作地別一覧表  杜詩 年譜(1)
78青年期と李白と遭遇期
42
岑參 しんじん 715 - 770 岑嘉集
43
朝衡(阿倍仲麻呂) ちょうこう 698 - 770
44
賈至      (かし) 718年〜772年 長門怨(獨坐思千里)   春思(草色青青柳色黄) 
45
許 渾 きょ こん 生没年不詳 秋思
46
元結  Yuan Jie  げんけつ (723)―(772) 舂陵行 竝序    賊退示官吏(并序)
47
独孤及 どっこきゅう  725 - 777 毘陵集
48
郭子儀 かくしぎ 692 - 781 
49
釈皎然 (しゃく こうぜん、) 730年 - 799年 塞下曲
         




















盛唐 713〜765


盛唐の詩人たち
ID 詩人名 よみかな 生没年 代表作品/出身地/備考
1 C 張若虚 ちょうじゃくきょ 未詳 〜 711 揚州の人。春江花月夜
2 B 包融 ほうゆう 生没年未詳。 回ク偶書二首
3



4 蘇挺 そてい 670年 - 727年 汾上驚秋
5 僧一行 そう いちぎょう 683〜727
6 張説 ちょうえつ 667年 - 730年
7 張九齢 ちょうきゅうれい 678年 -740年
8



9 A 張旭 ちょうぎょく 生没年未詳
10 王之渙 おうしかん 688年- 742年
11 孟浩然 もうこうねん 689年 - 740年
12 李祈 りき 690 〜 751年
13 saikou 704 - 754年

  


14 楊貴妃 ようきひ     719年 -756年
15



16



17 李白  りはく      701年 - 762年
18 諸光羲  ちょこうぎ  706年〜763年
19 崔敏童 さいびんどう   生没年不詳
20



21 嚴武  げんぶ      生年不詳〜765年
22 高適  (こうせき)   702年頃〜765年
23 裴迪  (はいてき) 生没年不詳
24 荊叔  けいしゅく    生没年未詳。
25



26 崔敏童 さいびんどう   生没年不詳。
27 崔國輔 さいこくほ    708年〜不詳。
28 杜甫  とほ  712年 - 770年
29 杜甫ものがたり 杜甫アウトライン






30 岑參 (しんじん)     715年 - 770年
31 常建 じょうけん     708年〜不詳。
32 張敬忠 ちょうけいちゅう 生没年不詳。
33 崔惠童 さいけいどう   750〜800年頃
34 樓穎 ろうえい760  生没年不詳


35 皎然  こうぜん    生没年不詳。
36 薛業 (せつぎょう)   生没年不詳。
37 顔眞卿  がんしんけい  709年 - 785年

















ID 詩人名 よみかな 生没年 代表作品/出身地/備考
201 C 張若虚 ちょうじゃくきょ 未詳〜715 揚州の人 /呉中の四士」

初唐の詩人。  賀知章、張旭、包融とともに「呉中の四士」と称された。張若虚(?〜
711?)
  揚州の人。官は?州兵曹に上った。中宗の神龍年間、賀知章・賀朝・万斉融・?巨・包融
らとともに詩文の才で知られた。「春江花月夜」の一首によって不朽の名を残した。


春江花月夜
202 B 包融ほうゆう ほうゆう 生没年未詳(695年−764
潤州延陵の人

潤州延陵の人,生卒年不詳とされていたが(現在695年−764年とする)。懷州司戸を為し
仕え、集賢院値學士,大理司直を歴任する。工詩,賀知章、張旭、張若虚らと並び称さ
れ,「呉中四士」の一人とされた。
子には包何がいる。



秘書監包府君集序
秘書監包府君集序
登翅頭山題儼公石壁
阮公嘯臺
酬忠公林亭
送國子張主簿
203 王翰 おうかん 687 - 726年

盛唐の詩人。酒をこよなく愛し、酒を題材にした作品が多く見られる。王翰(687?〜726?)
  字は子羽。晋陽の人。景雲二年(711)、進士に及第した。豪放な性格で任侠の士と交わ
り、酒宴と狩猟に日を送った。張説に認められて、駕部員外郎に任ぜられた。張説が失脚する
と仙州別駕に左遷されたが、やはり任侠の士を集めて酒宴にふけったため、さらに道州司馬に
流されて、配所で没した。

涼州詞  
葡萄美酒夜光杯、欲飲琵琶馬上催。  
酔臥沙場君莫笑、古来征戦幾人回。
葡萄の美酒 夜光の杯、飲まんと欲すれば 琵琶 馬上に催す。  
 酔うて沙場に臥す 君笑うこと莫かれ、古来征戦幾人か回る。  


涼州詞  
古長城吟(飮馬長城窟行)
204 蘇廷 (そてい) 670- 727年 雍州武功の人。

字は廷碩。雍州武功の人。調露二年(680)、進士に及第した。武則天に認められて、左司
禦率府冑曹参軍となり、監察御史・給事中・中書舎人などを歴任した。また玄宗の信任もあ
つく、工部侍郎・中書侍郎に昇進。開元四年(716)には宰相となり、許国公に封ぜられて玄
宗を補佐した。

全唐詩 巻七十四
1奉和晦日幸昆明池應制
2奉和聖製幸禮部尚書竇希?宅應制
3奉和幸韋嗣立山莊應制
4奉和聖製送張?上集賢學士賜宴得茲字
5奉和聖製途經華嶽應制
6奉和聖製經河上公廟應制
7奉和聖製答張?出雀鼠谷
8奉和恩賜樂遊園宴應制
9恩制尚書省僚宴昆明池同用堯字
10奉和聖製幸望春宮送朔方大總管張仁亶
11奉和聖製登太行山中言志應制
12奉和聖製漕橋東送新除岳牧
13奉和聖製途次舊居應制
14奉和聖製至長春宮登樓望稼穡之作
15利州北佛龕前重于去?題處作
16閑園即事寄韋侍郎
17扈從?泉同紫微?門羣公汎渭川得齊字
18餞趙尚書攝御史大夫赴朔方軍
19曉發興州入陳平路
20同餞陽將軍兼源州都督御史中丞
21扈從鳳泉和崔?門喜恩旨解嚴罷圍之作
22秋夜寓直中書呈?門舅
23先是新昌小園期京兆尹一訪兼郎官數子自頃沈痾年復一年茲願不果率然成章
24奉和馬常侍寺中之作
25慈恩寺二月半寓言
26餞澤州盧使君赴任
27陳倉別隴州司?李維深
28奉和崔尚書贈大理陸卿鴻臚劉卿見示之作
29敬和崔尚書大明朝堂雨後望終南山見示之作
30夜聞故梓州韋使君明當引?感而成章
31御箭連中雙兔
32奉和聖製過潼津關
33山鷓鴣詞二首
34汾上驚秋
35山驛閑臥即事
36將赴益州題小園壁
37詠禮部尚書廳後鵲
38詠死兔
39夜宴安樂公主新宅
40侍宴桃花園詠桃花應制
41奉和聖製幸韋嗣立莊應制
42重送舒公

全唐詩 巻七十三
1祭汾陰樂章
2奉和聖製行次成皐途經先聖擒建コ之所感而成詩應制
3奉和聖製登蒲州逍遙樓應制
4奉和聖製過晉陽宮應制
5奉和姚令公?湯舊館永懷故人盧公之作
6和杜主簿春日有所思
7餞郢州李使君
8餞唐州高使君赴任
9曉濟膠川南入密界
10夜發三泉即事
11小園納涼即事
12昆明池晏坐答王兵部c三韻見示
13奉和聖製春臺望應制
14長相思
15蜀城哭台州樂安少府
16立春日侍宴?出剪綵花應制
17春日芙蓉園侍宴應制
18奉和聖製人日清暉閣宴羣臣遇雪應制
19奉和七夕宴兩儀殿應制
20奉和九日幸臨渭亭登高應制得時字
21游禁苑幸臨渭亭遇雪應制
22奉和送金城公主適西蕃應制
23奉和聖製登驪山高頂寓目應制
24幸白鹿觀應制
25題壽安王主簿池館
26扈從?泉奉和姚令公喜雪
27秋社日崇讓園宴得新字
28奉和魏僕射秋日還?有懷之作
29武擔山寺
30餞?州陸長史再守汾州
31餞?州崔司馬
32送吏部李侍郎東歸得歸字
33送光祿姚卿還都
34春?送瑕丘田少府還任因寄洛中鏡上人
35送賈起居奉使入洛取圖書因便拜覲
36送常侍舒公歸覲
37興州出行
38邊秋薄暮
39曉發方騫驛
40經三泉路作
41故高安大長公主挽詞
42贈司徒豆盧府君挽詞
43故右散騎常侍舒國公?公挽詞
44奉和初春幸太平公主南莊應制
45奉和春日幸望春宮應制
46人日重宴大明宮恩賜綵縷人勝應制
47侍宴安樂公主山莊應制
48興慶池侍宴應制
49廣達樓下夜侍?宴應制
50龍池樂章
51扈從?杜間奉呈刑部尚書舅崔?門馬常侍
52景龍觀送裴士曹
53春?紫微省直寄?
54贈彭州權別駕
55寒食宴于中舍別駕兄弟宅
56九月九日望蜀臺
205 僧一行 (そう いちぎょう) (683〜727) 魏州昌楽の人。

俗姓は張、名は遂。号は大慧禅師。魏州昌楽の人。若いころは経史を学び、また陰陽五行
に通じた。荊州五泉山の恒景に従って仏門に入り天台を学んだ。禅を崇山の普寂に、律を当
陽山の悟真に教授を受けた。金剛智・善無畏に師事して密教を学んだ。新暦の作成を玄宗
に命じられて、天体観測のために黄道游儀や渾天儀を作ったという。密教の第六祖とされる。
『大日経疏』、『大衍暦』


舊唐書
泓師 附


『大日経疏』、
『大衍暦』


206 張説 (ちょうえつ) 
667- 730年 洛陽の人。

唐代の政治家。字は道済、または説之。洛陽の人。永昌元年(689)、進士に及第した。太子
校書から鳳閣舎人に進んだが、張易之兄弟に逆らい、欽州に流された。易之が殺され中宗
が復位すると、呼び戻されて工部侍郎・兵部侍郎を歴任。睿宗のとき、中書侍郎・雍州長史
となった。また皇太子・李隆基(のちの玄宗)の侍読をつとめ、同中書門下平章事(宰相)に上
った。玄宗の即位後、太平公主が蕭致忠らを登用したため解任された。太平公主が誅される
と、中書令に上り、宰相に復した。燕国公に封ぜられた。のち姚崇・宇文融と対立して失脚し
た。左遷されて相州・岳州刺史を歴任した。姚崇の死後、ふたたび中書令となった。晩年、玄
宗の信任を恃んで専断の行為があり、弾劾を受けて罷免されたが、また右丞相に返り咲い
た。のち左丞相に遷った。文筆は蘇?とともに「燕許大手筆」とうたわれた。『張説之文集』。




張説之文集  目録
蜀道後期(客心爭日月)  
幽州新歳作(去歳荊南梅似雪)


*張説ものがたり
207 張九齢 (ちょうきゅうれい) 
678- 740年 韶州曲江県の出身。

陳子昂の詩と並んで「神味超逸」の風があり、阮籍の「詠懐詩」の流れをくむ「感遇詩」12種
の連作が有名。著作に『張曲江集』20巻がある。字は子寿。韶州曲江の人。幼少の頃、南
方に流されてきた張説に才能を認められた。長安二年(702)、進士に及第した。左拾遺とな
り、玄宗の信任を得て左補闕・司勲員外郎を歴任。張説の腹心として活躍した。のちに中書
舎人から工部侍郎・中書令(宰相)に至った。李林甫と衝突し、玄宗の信頼を失って荊州長
史に左遷された。『曲江張先生集』。
702年に進士に及第し、寒門の出ではあったが宰相の張説に認められて校書郎・右拾遺・中
書侍郎を歴任し、玄宗時代の733年以降は尚書右丞相の任にあたった。のち、李林甫や楊
国忠らと衝突し、荊州に左遷され、官を辞した後は故郷に帰り文学史書に親しんだ。安禄山
の「狼子野心」を見抜き、「誅を下して後患を絶て」と玄宗に諫言した人としても知られる。「開
元最後の賢相」として名声高く、孟浩然や王維に希望を託されたこともある。王夫之はその
『讀通鑑論』のなかで「貞観の時には才臣はいたが、清廉な者はいなかった。ただ開元の時に
出た宋m・盧懐慎・張九齢は清貞という徳を以て宰相に昇った。張九齢は清にして和、名声
を追わず富を絶ち、朝廷に廉恥の心を知らせ、開元の世を盛んにした」と絶賛している。
陳子昂の詩と並んで「神味超逸」の風があり、阮籍の「詠懐詩」の流れをくむ「感遇詩」12種
の連作や「望月懐遠」が有名。著作に『張曲江集』20巻がある。

自君之出矣  
自君之出矣、不復理残機。 君のいでしより 、また残機を理【おさ】めず  
思君如満月、夜夜減清輝。 君を思えば満月の、夜夜に清輝を減ずるが如し  

照鏡見白髪  
宿昔青雲志、蹉?白髪年。 宿昔 青雲の志、蹉ダ【さだ】たり 白髪の年。  
誰知明鏡裏、形影自相憐。誰か知らん 明鏡の裏、形影 自ら相憐まんとは。  

望月懐遠  
海上生明月、天涯共此時。 海上 明月 生じ、天涯 此の時を 共にす。  
情人怨遥夜、竟夕起相思。 情人 遥夜を 怨み、竟夕) 起きて 相い思う。
滅燭憐光?、披衣覚露滋。燭を滅するままに光の満つるを憐み、衣を披りて露の滋きを覚ゆ。
不堪盈手贈、還寝夢佳期。 手を盈して贈るを堪えず、還た寝て佳期(かき)を夢みん。

自君之出矣
望月懐遠

照鏡見白髪
感遇
奉和聖製早度蒲關
和許給事直夜簡諸公
酬趙二侍禦史西軍贈兩省舊寮之作
奉和聖製送尚書燕國公説赴兩方軍
208 @ 賀知章 がしちょう 659- 744年

唐代の詩人、書家。詩人として有名であるが、狂草で有名な張旭と交わり、草書も得意とし
ていた。酒を好み、酒席で感興の趣くままに詩文を作り、紙のあるに任せて大書したことから、
杜甫の詩『飲中八仙歌』では八仙の筆頭に挙げられている。李白とも交友があった。
送賀賓客帰越 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白137
送賀監歸四明應制  李白
重憶  李白
回ク偶書二首
題袁氏別業
奉和聖製送張?巡邊
采蓮曲
奉和御製春臺望
詠柳
209 A 張旭 ちょうぎょく 生没年未詳 蘇州呉県の出身。

蘇州呉県の出身。字は伯高。唐文宗期の書家で、李白の詩・裴旻の剣舞とともに,三絶たる
ことを勅認された。狂草の創始者でもあって楷書にも優れ、神筆と自称した。
張 旭(ちょう きょく、生没年不詳)は、中国唐代中期の書家。字は伯高。呉郡呉県(現在の
江蘇省蘇州市)の出身。官は左率府(さそつふ、警備にあたる官庁)の長史(総務部長)にな
ったことから張長史とも呼ばれた。
草書を極めるとともに、従来規範とされて来た王羲之と王献之、いわゆる「二王」の書風に真
正面から異を唱え、書道界に改革の旋風を巻き起こすきっかけとなった。
詳しい経歴は不詳であるが、常熟県(現在の江蘇省蘇州市常熟市)で官位を得たあと長安
に上京、官吏として勤めながら顔真卿・杜甫・賀知章らと交わり書家として活動していた。
大酒豪として知られ、杜甫の詩「飲中八仙歌」の中でいわゆる「飲中八仙」の一人に挙げられ
ているほどである。

雜詠

<全唐詩>
1清谿泛舟
2桃花谿
3山行留客
4春遊?雨
5春草
6柳

210 孟浩然 もうこうねん 689- 740年 襄陽出身。

盛唐の詩人。王維とともに「王孟」と並称され、山水自然派の詩人として知られるが、王維が
自然の静的な面を客観的に歌うのに比して、より主観的に、自然を人間に親しいものとしてとら
える傾向を持つ。「春眠暁(あかつき)を覚えず」など、日本でも著名な作品が多い。襄陽出
身。諱は浩、浩然は字。鹿門山に隠棲し、40才頃に進士に応じて落第し、王維との親交によ
って玄宗に謁見しながらも、「不才にして明主に棄てられ」の句で官途を失い、郷里に隠棲し
た。襄陽長史に遷された張九齢の幕下に加わり、致仕後は江南を巡って王昌齢とも親交した
が、まもなく襄陽で病死した。
 盛唐期にあって王維らとともに田園詩人群を形成し、王維とともに後の韋応物・柳宗元と併
称される。ともに山水美を訴求しながら、王維の客観的・傍観的・静的態度と異なり、主観
的・親近的・動的追及を旨とし、特に『春暁』は人口に膾炙している。
 山水田園詩人・自然詩人としての孟浩然とその自然描写の作品に対する、我が国における
代表的な評価を確認しておきたい。我が国のものとしては、まず、小川環樹氏の評価を取り上
げるべきであろう。小川氏は、王維と孟浩然とを比較し、王維が傍観者としての態度をもちつ
づけ、政治に対してのみならず、風景を歌うにも遠景を愛するのに」対して、孟浩然は「より情
熱的な詩人」であるとし、「孟浩然の目をとおした自然はもっと人間に親近したものなのであ
る。」とする。また、「孟浩然の詩中の風物は活動的であり、王維のはいつそう静止的だといえ
るだろうか。王維には枯れさびた色相があり、孟には明朗な気分があることにもなる。」とも言
う。小川氏は、このように、孟浩然詩の特徴として情熱性・活動性・明朗さを指摘しており、ま
たそれは妥当であると考えられる。孟浩然と謝霊運とは、自然描写における詩的感覚が同様
であるとしても、描写された自然が動いているか静止しているかという点で、大きな違いがあると
考えられる。
1. 春曉(春眠不覺曉)
2. 留別王侍御維(寂寂竟何待)
3. 送杜十四之江南(荊呉相接水爲ク)
4. 送朱大入秦(遊人五陵去)
5. 望洞庭湖贈張丞相(八月湖水平)
・・・・・

56.秋登蘭山寄張五
57.臨洞庭
58.題義公禪房
59.陪張丞相自松滋江東泊渚宮
60.洛陽訪袁拾遺不遇


孟浩然の物語と詩目次・案内
孟浩然 春暁 と 王維 ,田園楽
孟浩然 澗南園即時貽皎上入
ID 詩人名 よみかな 生没年 代表作品/出身地/備考
211 王之渙 おうしかん 688-742年 并州晋陽県の出身。

王 之渙(おう しかん、688年 - 742年)は、中国・唐の詩人。字は季陵。并州晋陽県の出
身。開元年間の初めに冀州衡水県の主簿に就いたが、他人とうまくゆかずに辞職し、15年間
無官で過ごして、晩年に文安県の尉に就いた。当時、詩名は高く、その詩は人々に愛誦され
たと伝えられている。「王之奐」としている本もある。
《九日送別》
薊庭蕭瑟故人稀、  薊庭蕭瑟として故人稀なり、
何処登高且送帰。  何れの処か高きに登りて且く帰るを送らん。
今日暫同芳菊酒、  今日暫く同うす 芳菊の酒、
明朝応作断蓬飛。  明朝は応に断蓬と作って飛ぶべし。
九日送別
涼州詞
登鸛鵲樓
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