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       隋全書の詩人その概略

隋全書の詩人その概略



隋全書
古詩
僧慧遠  江總  陸法言 崔ヒョウ  楊素 薛道衡 房彦謙 テキ譲 王通  煬帝    
廬世基  孫萬壽 王冑  尹式  孔徳紹  孔紹安  陳子良  王申禮   
卷一 隋文帝楊堅 盧思道 孫萬壽





卷二 李コ林 柳莊 明克讓 明餘慶 魏澹 辛コ源 李孝貞 元行恭 蕭岑 王通

劉臻 史萬歳 何妥 尹式





卷三 煬帝楊廣 姚察







卷四 楊素 賀若弼 薛道衡






卷五 柳キョウ 牛弘 蕭j 袁慶 王リョウ 徐儀 岑コ潤 崔仲方 于仲文 王冑

諸葛穎 虞綽







卷六 許善心 ユ自直 李密 廬世基 杜公瞻 王衡 薛コ音 越王楊ケ
虞世南 蔡允恭

孔徳紹 劉斌







卷七 李巨仁 弘執恭 卞斌 王申禮 魯範 殷英童 胡師耽 陳政 周若水 薛ム

劉端 段君彦 張文恭 呂譲 沈君道 魯本 劉夢予 陸季覽 馬敞 王ハク

乙支文コ 大義公主 丁六娘 李月素 羅愛愛 秦玉ワン 蘇蝉翼 張碧蘭 侯夫人
卷八 歌辭 謠辭 諺語 雜曲歌辭





卷九 郊廟歌辭 燕射歌辭 鼓吹曲辭 舞曲歌辭





卷十 僧法宣 釋慧淨 釋智R 慧曉 釋玄逵 釋靈裕 釋智命 釋智才 縣延 沸大

釋慧輪 釋慧英 無名釋












ID
詩人名
よみ
生没年
作品/記事 作品/記事 作品/記事 作品/記事 作品/記事
01 隋文帝楊堅 ようけん 541 - 604  宴秦孝王于并州作詩

 
02 盧思道






03 孫萬壽 そんまんじゅ 生没年不詳  遠戍江南 答楊世子詩 別贈詩 行經舊國詩
04 李コ林






05 柳莊






06 明克讓






07 明餘慶 めいよけい 不明(隋の時活躍) 從軍行 詠死烏詩

08 魏澹






09 辛コ源






10 李孝貞






11 元行恭






12 蕭岑






13 王通 おうとう 584 - 618 東征歌



14 劉臻






15 史萬歳






16 何妥






17 尹式 いんしき 生没年不詳 送晉熙公別詩 別宋常侍詩
18 煬帝楊廣 ようだい 569 - 618  望海詩 詠鷹詩 獻?燕宮臣詩 現存詩 多
19 姚察






20 楊素 ようそ  ? - 606年 出塞二首 贈薛内史詩 贈薛播州
詩(十四
章)
山齋獨坐贈
薛内史詩二
行經漢高
陵詩
21 賀若弼






22 薛道衡 せつどうこう 540年 - 609年 展敬上鳳林
寺詩
從駕天池應?
梅夏應教
詠苔紙詩 人日思歸
23 柳キョウ






24 牛弘






25 蕭j






26 袁慶






27 王リョウ






28 徐儀






29 岑コ潤






30 崔仲方






31 于仲文






32 王冑 おうちゅう 生没年不詳 別周記室



33 諸葛穎






34 虞綽












ID
詩人名
よみ
生没年
作品/記事 作品/記事 作品/記事 作品/記事 作品/記事
35 許善心






36 ユ自直






37 李密






38 廬世基 ろせいき ?  - 618  出塞二首 江都夏 長安秋 初渡江詩 現存 多し
39 杜公瞻






40 王衡






41 薛コ音






42 越王楊ケイ






43 虞世南






44 蔡允恭






45 孔徳紹 こうとくしょう 生没年不詳 送祭君知入蜀 夜宿荒村
46 劉斌






47 李巨仁






48 弘執恭






49 卞斌






50 王申禮 おうしんれい 不明(隋の時活躍) 宝林寺 賦得岩穴無結構 賦得馬援? 駿馬
51 魯範






52 殷英童






53 胡師耽






54 陳政






55 周若水






56 薛ム






57 劉端






58 段君彦






59 張文恭






60 呂譲 りょじょう 不明(隋の時活躍) 和入京



61 沈君道






62 魯本






63 劉夢予






64 陸季覽






65 馬敞






66 王ハク






67 乙支文コ






68 大義公主 たいぎこうしゅ 不明(隋の時活躍) 書屏風詩



69 丁六娘






70 李月素






71 羅愛愛






72 秦玉ワン






73 蘇蝉翼






74 張碧蘭






75 侯夫人

















僧法宣







釋慧淨







釋智R







慧曉







釋玄逵







釋靈裕







釋智命







釋智才







縣延







沸大







釋慧輪







釋慧英







無名釋














ID
詩人名
よみ
生没年
作品/記事 作品/記事 作品/記事 作品/記事 作品/記事
01 隋文帝楊堅 ようけん 541 - 604  宴秦孝王于并州作詩

 


楊 堅(よう けん、541年7月21日 - 604年8月13日)は、中国の隋の初代皇帝(在位:581年3月4日 - 604年8月13日)。小名は那羅延。諡は文皇帝、廟号は高祖。第2代皇帝煬帝の父. 古詩源の項目に詳しく述べる(楊堅)。
02 盧思道 ろ しどう 531年? - 582年? 棹歌行   美女篇    升天行    神仙篇 河曲遊


  南北朝時代から隋の文学者。字は子行。本貫は范陽郡?県。北朝末を代表する文学者の一人。
生涯
盧道亮(盧淵の次男)の子として生まれた。北朝の名族の家に生まれる。聡明で弁舌に優れたが、奔放気ままな性格だった。16歳の時、劉松なる人物の書いた文章が読めなかったことに発憤し、当時を代表する文学者の?撃ノ師事した。さらに魏収から書を借りて学問に励み、数年の間に才能と学問が人々の評判になった。北斉の天保年間、『魏書』がまだ世に出ていないうちから、盧思道はこれを非難し、そのため鞭打ちの刑となった。その前後にも頻りに規律を犯したことから、官途に就くことができなかった。
尚書左僕射楊彦遵の推薦により、司空行参軍・員外散騎侍郎試補として初めて出仕し、中書省につとめた。559年、北斉の文宣帝が死去した際、魏収・陽休之・祖?ら文人たちが挽歌を10首ずつ作り、その優れたものを採用させたことがあった。魏收らの作は1首か2首が採用されたのみだったのに対し、盧思道だけは8首も採用され、人々から「八米盧郎」と称された[2]。中書省の機密を漏洩したことから丞相西閤祭酒に左遷され、太子舎人・司徒録事参軍を歴任した。後に官庫の金を流用したことで免官となり、家に蟄居した。数年後に京畿主簿となり、主客郎・給事黄門侍郎を歴任し、文林館待詔として薛道衡・李徳林らと親しく交際し、名声を等しくした。
577年、北周の武帝が北斉を滅ぼすと、儀同三司を授けられ、長安におもむいた。陽休之らと「聴蝉鳴篇」を作ったところ、盧思道の作は?信によって大いに評価された。578年、母親の病気を理由に故郷に帰ったが、同郡の祖英伯と従兄の盧昌期が北斉の范陽王高紹義を擁立して反乱を起こすと、盧思道は彼らに荷担した。柱国の宇文神挙によって反乱は平定され、捕らえられた盧思道は処刑されるところであったが、宇文神挙はかねてから盧思道の名声を聞いており、試しに書かせた戦勝報告文のできばえに感心し、盧思道の罪を許した。
随国公の楊堅(後の隋の文帝)が丞相となると、盧思道は武陽郡太守に任じられたが志を得ず、「孤鴻賦」を作って自分の心境を詠った。581年、隋が建国されると、母親の老齢を理由に致仕を願い出て許された。1年あまりで召し出され、陳の使者の接待を命じられた。まもなく散騎侍郎になり、内史侍郎の事を奏上した。この年、都で死去した。享年52。

盧思道は学問に優れていたが、品行が悪く、自らの才能と家柄をたのんで人を侮辱することが多く、このため官途は滞りがちであった。陸法言の『切韻』序によると、盧思道は開皇の始め、顔之推・薛道衡らとともに陸法言の家に集まって音韻の討論を行い、これが後に『切韻』にまとめられたとある。
<隋全書>
盧思道有所思  日出東南隅行  棹歌行  美女篇  升天行  神仙篇  河曲遊  城南隅燕  蜀國弦  采蓮曲  從軍行
駕出圜丘詩    贈李若詩    贈李行之 贈別司馬幼之南聘詩   贈劉儀同西聘詩  遊梁城詩  春夕經行留侯墓詩
上已禊飲詩  賦得珠簾詩  彭城王挽歌  樂平長公主挽歌  後園宴詩  聽鳴?篇  聯句作詩
03 孫萬壽 そんまんじゅ 生没年不詳  遠戍江南 答楊世子詩 別贈詩 行經舊國詩


   古詩源の項目に詳しく述べる(孫萬壽)。
04 李コ林 り とくりん 531年 - 591年 李懐州集1巻 相逢狹路間 夏日詩 入山詩 詠松樹詩


  北朝から隋代の官僚で歴史家。字は公輔。文と諡される。本貫は博陵郡安平県(現在の河北省衡水市安平県)。李百薬の父。
経歴
北魏の鎮遠将軍の李敬族の子として生まれた。博学であり、古典や陰陽の学にも通じていた。また、文章にも秀でていた。北斉の天保8年(557年)、秀才に及第して、通直散騎侍郎となった。その後、北周の武帝に仕えて内史上士に就任した。

隋代になると、文帝に仕えて内史令となった。隋が陳を平定すると、柱国となって、郡公の爵を得た。しかし、後に、懐州刺史に左遷された。591年に61歳で没した。

徳林には、文集80巻が存したが伝わらず、現在みられるのは、「李懐州集」1巻(『漢魏六朝一百三家集』所収)である。また、子に李百薬があり、徳林が果たせなかった、北斉代の歴史書、正史の『北斉書』の編纂を完成させた。
<隋全書>: 相逢狹路間從駕還京詩  夏日詩  入山詩  詠松樹詩
05 柳莊 りゅうそう 581〜591活躍 劉生





柳莊,中國南北朝後梁、隋朝政治人物,表字思敬,河東郡解縣(今山西運城永濟東)人,南朝梁霍州刺史柳霞之子。
柳莊少有遠志,岳陽王蕭?闢為諮議參軍,轉法曹參軍。濟陽蔡大寶把女兒嫁給了他。蕭?建後梁稱帝,柳莊擔任中書舍人。?任後梁給事?門侍郎、吏部郎中、鴻臚卿。

楊堅掌握北周政權,後梁皇帝蕭?派柳莊為使者入關。楊堅厚遇柳莊、帰還柳莊走的時候楊堅和他執手送別。尉遲迥之亂,後梁將帥多想要和尉遲迥聯合,進可以為北周盡節,退可以席捲山南。柳莊主張聯合楊堅,蕭?聽從了他的話,於是後梁的江山社稷才得以保存。

581年,楊堅建立隋朝,即皇帝位,柳莊再次入朝。晉王楊廣迎娶蕭?的女兒為蕭妃,柳莊為了這件事在長安、江陵之間多次往來。蕭j即位,以柳莊為太府卿。隋朝廢除後梁,柳莊在隋朝拜為開府儀同三司,不久改任給事?門侍郎。柳莊通曉古代制度,又很?世務,蘇威、高?都很看重他。同官陳茂與他互相敵視,多次進獻讒言,文帝開始疏遠他。

591年,徐澄在江南作亂,柳莊為行軍總管長史平亂。平定徐澄後,柳莊擔任饒州刺史,有治績。數年後,在任上去世,享年六十二?。
06 明克讓 めい こくじょう 525年 - 594年 詠修竹詩





梁から隋にかけての学者・政治家。字は弘道。本貫は平原郡鬲県。
経歴
梁の侍中の明山賓の子として生まれた。若いころから経書や史書を渉猟し、談論を得意とした。とくに三礼の礼論について研鑽を積み、占いや暦法・天文に詳しかった。14歳のとき、湘東王蕭繹の下で法曹参軍を初任とした。朱?が儀賢堂で『老子』を講義すると、克譲もこれに参加した。儀賢堂のへりに竹が生えていたので、朱?が克譲にこのことを詠ませると、「君多く愛賞するに非ず、誰ぞ此の貞心を貴ばん」と言ったので、朱?は克譲を賞賛した。克譲は梁の司徒祭酒・尚書都官郎中・散騎侍郎を歴任し、国子博士・中書侍郎を兼ねた。557年、梁が滅ぶと、克譲は長安に入り、北周の明帝に召されて麟趾殿学となった。著作上士の位を受け、外史下大夫に転じた。衛王宇文直の友をつとめたほか、漢東郡太守・南陳郡太守を歴任した。560年、武帝が即位すると、露門学士として召され、太史官とともに新暦の制定にあたった。儀同三司の位を受け、司調大夫に累進し、歴城県伯の爵位を受けた。

581年、隋が建国されると、太子内舎人に任ぜられ、率更令に転じ、爵位は侯に進んだ。太子楊勇の師として礼遇を受けた。太常の牛弘らとともに礼楽の修定にあたり、王朝の典故の多くを正した。594年、病のため退官し、通直散騎常侍の位を加えられた。死去した。享年は70。著に『孝経義疏』1部、『古今帝代記』1巻、『文類』4巻、『続名僧記』1巻、『集』20巻があった。

子の明余慶は司門郎となり、越王楊?の下で国子祭酒をつとめた。<隋全書>:
07 明餘慶 めいよけい 不明(隋の時活躍) 從軍行 詠死烏詩



   古詩源の項目に詳しく述べる(明餘慶 )。
08 魏澹 ぎ たん 生没年不詳 初夏應?詩詠 
  
階前萱草詩  詠石榴詩 園樹有?鵲戲
以詠之
詠桐詩


 北斉から隋にかけての学者・官僚。字は彦深。本貫は鉅鹿郡下曲陽県。
経歴
魏季景の子として生まれた。15歳のとき、父を失った。学問を好んで経書・史書に通じ、文章を得意とし、詞にすぐれた。北斉の博陵王高済に召されてその下で記室となった。琅邪王高儼が京畿大都督となると、魏澹は鎧曹参軍となり、殿中侍御史に転じた。魏収・陽休之・熊安生らとともに五礼を修定した。また諸学士らとともに『御覧』を撰し、完成すると、殿中郎中・中書舎人に任ぜられた。李徳林とともに修国史をつとめた。北周の武帝が北斉を平定すると、魏澹は武帝に任用されて納言中士の位を受けた。

581年、隋が建国されると、魏澹は行台礼部侍郎となった。まもなく散騎常侍となり、南朝陳に対する主使をつとめた。帰還すると、太子舎人に任ぜられた。太子楊勇の礼遇を受け、『?信集』に注釈し、『笑苑』・『詞林集』を撰した。当時の人に博物と評された。数年後、著作郎に転じ、太子学士となった。

文帝は魏収の『魏書』の評価に納得せず、魏澹に別の魏史をつくらせた。魏澹は道武帝から西魏の恭帝までの12紀と、78の伝、別に史論と例を1巻、そして目録と、合わせて92巻を作った。魏澹の著した『魏書』は簡潔にして要を得ていたので、文帝はこれを読んで喜んだ。しばらくして死去した。享年は65。『文集』30巻があった。

子に魏信言があった。
<隋全書>: 初夏應?詩詠階前萱草詩  詠石榴詩  園樹有?鵲戲以詠之  詠桐詩
09 辛コ源 しん とくげん  ? -601 短歌行   白馬篇   霹靂引  猗蘭操 成連


辛コ源字孝基,隴西狄道(今甘肅臨?縣)人。
?靜好學,美儀容。北齊時?官員外散騎侍郎,比部郎中、待詔文林館、尚書考功郎中、中書舍人。劉巡讚其「文章□艷?體調清華」。為周武帝平齊後隨駕入關的十八名士之一,因尉遲迥之亂,「隱於林慮山,鬱郁不得志,著《幽居賦》以自寄」。入隋?隱於山林。秘書監牛弘以コ源推薦他與著作郎王邵同修國史。轉諮議參軍,卒於任上。著有《辛コ源集》。
(??601)?西狄道人,字孝基。辛子馥子。?静好学,博?群?,少即有名。曾仕北?。入北周,?宣?上士。及文帝受禅,久不得志。?于林?山。著《幽居?》以寄情。与?思道友善,?相往来,?人所奏,?令从?,年余?。后参与修国史。撰《集注春秋三?》、?子《法言》注等。?蜀王?秀咨?参?,卒于官。有集。
<隋全書>:短歌行  白馬篇  霹靂引  猗蘭操  成連  芙蓉花  東飛伯勞歌  星名  於?邵座賦詩  恙?詩
10 李孝貞 りこうてい 595-605活躍 巫山高 聽百舌  鳥詩   園中雜詠橘樹 詠鵲詩


李孝貞李孝貞,字元操,趙郡柏人人也。父希禮,齊信州刺史,世為著姓。孝貞少好學,能屬文。在齊釋褐司徒府參軍事。簡靜不妄通賓客,與從兄儀曹郎中騷、太子舍人季節、博陵崔子武、范陽盧詢祖為斷金之契。後以射策甲科拜給事中。于時?門侍郎高乾和親要用事,求婚於孝貞。孝貞拒之,由是有隙,陰譖之,出為太尉府外兵參軍。後?中書舍人、博陵太守、司州別駕,複兼散騎常侍、聘周使副,還除給事?門侍郎。周武帝平齊,授儀同三司、少典祀下大夫。宣帝即位,轉吏部下大夫。高祖為丞相,尉迥作亂相州,孝貞從韋孝ェ?之,以功授上儀同三司。開皇初,拜馮翊太守,為犯廟諱,於是稱字。後數?,遷蒙州刺史,吏民安之。自此不復留意於文筆,人問其故,慨然歎曰:「五十之年,倏焉而過,鬢垂素髮,筋力已衰,宦意文情,一時盡矣,悲夫!」然?暇日,輒引賓客弦歌對酒,終日為歡。征拜?史侍郎,與?史李コ林參典文翰。然孝貞無干劇之用,頗稱不理,上譴怒之,敕禦史劾其事,由是出為金州刺史。卒官。所著文集二十卷,行於世。有子允玉。

孝貞弟孝威,亦有雅望,大業中,官至大理少卿。
<隋全書>: 巫山高  奉和從叔光祿?元日早朝詩  聽百舌  鳥詩  酬蕭侍中春園聽妓詩  園中雜詠橘樹詩  詠鵲詩
11 元行恭 げんこうきょう 北齊から隋 秋遊昆明池詩 過故宅詩




元行恭,河南郡洛陽縣人,追尊魏昭成帝拓跋什翼?後裔,元文遙之子。
元行恭美姿貌,北齊後主時為省右?郎。官至中書舍人,待詔文林館。隋代開皇年間官位尚書郎。工書法,尤長於行書。徙瓜州卒。

<隋全書>:秋遊昆明池詩 過故宅詩
12 蕭岑 しょうしん ?-?梁から隋   





蕭岑(?−?),字智遠,梁宣帝蕭セツ第八子,梁明帝蕭キ之弟。初封河間王,後改封呉郡王。
蕭岑秉性簡貴,御下嚴整。梁明帝在位期間,官至太尉。天保二十四年(585年),梁明帝去世,西梁後主蕭j即位,蕭岑因望重屬尊,頗有不法。隋文帝?蕭岑入朝,趁機留住他,不讓他返回西梁。開皇七年(587年),隋文帝廢除西梁政權。蕭岑後出任大將軍,封懷義郡公。
娘が煬帝の皇后になる。

<隋全書>:《棹歌行》,收入《樂府詩集》卷四十、《詩紀》卷百二十一。
13 王通 おうとう 584 - 618 東征歌





王 通(おう とう、584年(開皇4年)- 618年(武徳元年))は、中国・隋代の儒学者。字は仲淹(ちゅうえん)。号は文中子(ぶんちゅうし)。絳州竜門県(現在の山西省運城市河津市)の出身。
     古詩源の項目に詳しく述べる(王通)。
14 劉臻 りゅうしん 527年 - 598年 河邊枯樹詩





劉 臻(りゅう しん、527年 - 598年)は、南朝梁から隋にかけての学者。両漢書に精通して、漢聖と称された。字は宣摯。本貫は沛国相県。
経歴
梁の尋陽郡太守の劉顕の子として生まれた。18歳のときに秀才に挙げられ、邵陵王東閤祭酒となった。元帝のとき、中書舎人に転じた。江陵が陥落すると、劉臻は蕭?に帰順して、中書侍郎となった。北周の宇文護に召されて中外府記室となり、その軍の書簡や檄文の多くは劉臻の筆により成った。後に露門学士となり、大都督に任じられ、饒陽県子に封じられた。藍田県令・畿伯下大夫をつとめた。

隋が建国されると、位は儀同三司に進んだ。高?が南朝陳を討つにあたって、劉臻は従軍して文筆をつかさどり、爵位は伯に進んだ。皇太子楊勇に召されて、太子学士となり、太子との関係はたいへん親密であった。同じく儀同で太子学士の劉訥という人物がおり、劉臻が城南に住み、劉訥が城東に住んでいたが、混同されることが多く、笑い話の種にもなった。598年(開皇18年)、死去した。享年は72。文集10巻が通行した。

<隋全書>:河邊枯樹詩
15 史萬歳

石城山






<隋全書>:石城山
16 何妥

門有車馬客行
入塞  
長安道   昭君詞 奉敕於太常寺
修正古樂詩
樂部曹觀樂



<隋全書>:門有車馬客行入塞  長安道  昭君詞  奉敕於太常寺修正古樂詩  樂部曹觀樂詩
17 尹式 いんしき 生没年不詳 送晉熙公別詩 別宋常侍詩


   古詩源の項目に詳しく述べる(尹式)。
 送晉熙公別詩  別宋常侍詩
18 煬帝楊廣 ようだい 569 - 618  望海詩 詠鷹詩 獻?燕宮臣詩 現存詩 多


   古詩源の項目に詳しく述べる(煬帝楊廣)。
19 姚察









<隋全書>:
20 楊素 ようそ  ? - 606年 出塞二首 贈薛内史詩 贈薛播州詩
(十四章)
山齋獨坐贈薛
内史詩二首
行經漢高陵


   古詩源の項目に詳しく述べる(楊素)。
21 賀若弼









<隋全書>:
22 薛道衡








   古詩源の項目に詳しく述べる(薛道衡)。
23 柳キョウ









<隋全書>:
24 牛弘









<隋全書>:
25 蕭j









<隋全書>:
26 袁慶









<隋全書>:
27 王リョウ









<隋全書>:
28 徐儀









<隋全書>:
29 岑コ潤









<隋全書>:
30 崔仲方









<隋全書>:
31 于仲文









<隋全書>:
32 王冑








   古詩源の項目に詳しく述べる(王冑)。
33 諸葛穎









<隋全書>:
34 虞綽









<隋全書>:



   )。古詩源の項目に詳しく述べる(


ID
詩人名
よみ
生没年
作品/記事 作品/記事 作品/記事 作品/記事 作品/記事
35 許善心









<隋全書>:
36 ユ自直









<隋全書>:
37 李密









<隋全書>:
38 廬世基 ろせいき ?  - 618  出塞二首 江都夏 長安秋 初渡江詩 現存 多し


   )。古詩源の項目に詳しく述べる(
<隋全書>:
39 杜公瞻









<隋全書>:
40 王衡









<隋全書>:
41 薛コ音









<隋全書>:
42 越王楊ケイ









<隋全書>:
43 虞世南









<隋全書>:
44 蔡允恭









<隋全書>:
45 孔徳紹 こうとくしょう 生没年不詳 送祭君知入蜀 夜宿荒村


   )。古詩源の項目に詳しく述べる(
<隋全書>:
46 劉斌









<隋全書>:
47 李巨仁









<隋全書>:
48 弘執恭









<隋全書>:
49 卞斌









<隋全書>:
50 王申禮 おうしんれい 不明(隋の時活躍) 宝林寺 賦得岩穴無結構 賦得馬援? 駿馬


   )。古詩源の項目に詳しく述べる(
<隋全書>:
51 魯範









<隋全書>:
52 殷英童









<隋全書>:
53 胡師耽









<隋全書>:
54 陳政









<隋全書>:
55 周若水









<隋全書>:
56 薛ム









<隋全書>:
57 劉端









<隋全書>:
58 段君彦









<隋全書>:
59 張文恭









<隋全書>:
60 呂譲 りょじょう 不明(隋の時活躍) 和入京





   )。古詩源の項目に詳しく述べる(
<隋全書>:
61 沈君道









<隋全書>:
62 魯本









<隋全書>:
63 劉夢予









<隋全書>:
64 陸季覽









<隋全書>:
65 馬敞









<隋全書>:
66 王ハク









<隋全書>:
67 乙支文コ









<隋全書>:
68 大義公主 たいぎこうしゅ 不明(隋の時活躍) 書屏風詩





   )。古詩源の項目に詳しく述べる(
<隋全書>:
69 丁六娘









<隋全書>:
70 李月素









<隋全書>:
71 羅愛愛









<隋全書>:
72 秦玉ワン









<隋全書>:
73 蘇蝉翼









<隋全書>:
74 張碧蘭









<隋全書>:
75 侯夫人

















僧法宣









<隋全書>:

釋慧淨









<隋全書>:

釋智R









<隋全書>:

慧曉









<隋全書>:

釋玄逵









<隋全書>:

釋靈裕









<隋全書>:

釋智命









<隋全書>:

釋智才









<隋全書>:

縣延









<隋全書>:

沸大









<隋全書>:

釋慧輪









<隋全書>:

釋慧英









<隋全書>:

無名釋









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